はじめまして、クスノキコータです。漢字で「楠 項太」と書きます。
プロのシーカヤックガイド・インストラクターとしてこれまでに1000人以上のお客様を海へお連れしてきました。そうなるまでの僕のことをちょっとだけ。
生まれも育ちも神奈川県です。都心から最も近く、山も海もあり自然豊かなところです。
幼少の頃はまだ、自転車で行ける範囲に川や池や里山があり、釣りをしたり虫をとったり、飼い犬と訳もなく駆けずりまったり転げまわったり・・・男の子は皆ハナタレ坊主で遊んでおりました。
学生時代になると全くの「インドア派」の趣味に路線変更。
部活の時間以外はファミコンにプレステ、映画DVDと、外で遊ぶことは、ほとんどなくなっていました。
洋画、邦画、大作、インディペンデント関係なくいろんなジャンルの映画をたくさん観ました。
社会人になって印刷会社に就職。
当時の印刷業界では、文字や図版などの要素をペンやカッターや接着剤で紙面に配置し構成する「組版」とゆう仕事をしていました。
フィルムや印画紙など光に繊細な材料を使っていたので、真暗な暗室の作業などもあり、職場は閉め切られた室内でエアコンで24時間温度湿度管理され、外界から遮断されていました。
そのうち印刷業界の技術も進歩し、組版もアナログからデジタルへ。
ペンやカッターや定規の代わりにAppleのMacintoshで作業することになります。
しかし色調を見る仕事に変わりはないく、仕事場はカーテンで閉め切り色調管理用の蛍光灯の下、朝から夜遅くまで毎日残業残業。
あまり日光に当たらない暮らしが何年も続きました。
そんなインドア過ぎる生活を繰り返すうちに徐々にストレスを感じ始め、なんとなくネガティブな感じに、メゲたオトナになっていきます。
このままではイカン。外の空気を感じたい!太陽を浴びたい!!なにか「趣味」でも持たないと人生が潤わないのではないのか!?とジタバタし始めます。
とりあえず休みの日には友達を誘って手あたり次第に「趣味」らしいものを体験してみました・・・
- 湖にブラックバスを釣りに行く。→まったく釣れない。
- 山登りに行く。→高所恐怖症で急斜面がコワい。
- マラソンをする。→息が苦しい。走るの嫌い。
- 陶芸教室でろくろを回す。→集中力がない。じっとしていられない。飲みづらいbeerマグが出来た。
- パンを焼いてみる。→発酵が弱くて膨らまない。いつのまにかインドアになっている。(T_T)
アーデモネーコーデモネーとしているうちにたどり着いたのが「シーカヤック体験」でした。
マリンスポーツなら、やっぱサーフィンとかヨットじゃないの?とも思ったのですが。
三十路ではじめるには、ヨットはちょっと敷居が高いような気がして。
湘南のサーファーみたいないいカラダしてないし、・・・とりあえず。
はじめて乗った小さな手漕ぎの舟は、予想より安定していて、池のボートと違い軽く漕いだだけで滑るように水面を進んでいきました。
・・・そして数分後には広い海上に浮いていたのです。
そこは非日常の世界で、自力でそこにいる事がとても爽快でした。
これをきっかけにシーカヤックのスクールに通い始め、趣味としてどっぷりハマっていきました。
シーカヤックのこと、海のこと、気象のこと、アウトドアのこと、そして趣味を通じて友達がたくさんできたこと。すべてが楽しくて仕方がなかった。
何年も続けているうちに、力試しで受けたのカヤック協会のインストラクター試験に、落第 Σ( ゚Д゚;)
悔しく一年間眠れませんでした。(誇張しすぎました)
で、翌年に合格。
それをきっかけに、お世話になっていたスクールで週末スタッフとして働き始めました。
シーカヤックインストラクター、ガイドの仕事は、自分のカヤック技術が上達する以上に、やりがいがありました。
接客と安全管理などの経験はビジネスでも役に立ちました。
なによりお客さんたちの笑顔が自分の喜びになりました。
それから転職し職種が変わっても、インストラクターを続け、いつしかインストラクターが本業になっていました。
その後も老舗カヤックスクール、会員制ビーチリゾートクラブで貴重なキャリアをつむことができました。
この経験を活かし2017年より、自分のサービスを始めしました。
そして、2019年春、「Flat flato(フラットフラット)」とゆう屋号で三浦海岸にベースをかまえました。しかしシーカヤックは車に乗せて、いろんなフィールドに行くのが楽しみに一つ。三浦半島に縛られず、いろんな海にお連れしたいと思っています。
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