瀬戸内海を渉る(十八次 瀬戸内カヤック横断隊 備忘録)その3 

三日目 岡村島(乗越海岸)

前日より30分早い時間に目覚ましをセットして、起床は5:00。
昨夜に作った雑炊(和風だし)を温めなおしながら、寝袋とマットを収納し、少し湿ったカヤックウェアに着替える。雑炊をスープジャーに満タンに詰めた。初日より少なめに炊いたのだが、今日も食べきるのがやっとだった。明日はコンソメ味にしてみよう。

暗闇でヘッドランプを点けてカヤックにパッキングしていると、ムズムズと便意がくる。
公衆トイレがないところではノグソなのだが、やはり林より浜が好き。僕は「天然のウォシュレット」と呼んでいる。羞恥心も少しはあるので、皆に見られたくはないわけだが。毎日テントで生活してくると、どうゆうカラクリかわからないが、都合よく夜明け前に便意がくるようになるので不思議である。
テント村から遠ざかり、真っ暗な浜辺で独り穏やかな気持ちで尻を出すのである。

用を済ませて、テント村に戻る途中で、躓いて、転びそうになり手をつく。イテテ、ヘッドランプで足元をしっかり照らして歩かないとね~あぶないあぶない。(^_^;)
白々と明けてゆくころには、パッキングも済ませ、準備万端少し時間的余裕があった。


毎朝、ハルさんが隊士達と艇を廻り、ホワイトセージを焚いてお清めをしてくれる。ハルさんは、若いころからネイティブアメリカンの暮らしに精通しているらしい。ありがとうございます。今日も無事に海を渉れますように。

この日のリーダーはダイスケさん、「Deepwater」とゆう屋号で、尾道の向島を中心に活動するシーカヤックガイドだ。
この日のポイントは「船折瀬戸」を午後1時の転潮のタイミング通過したい。
北風が吹いていた。大下島~大三島の岸沿いを風を避けながら進んでいく。

追い潮をつかみ、見事な統率ぶりに感心する。
美しい島々とそれらを繋ぐ橋が織り成す「しまなみ海道」はワクワクするエリアだった。
大きなドックに、巨大な船が並び迫力がある。


十分余裕をもって、船折瀬戸の手前の「伯方島」に到着。観光地の伯方ビーチでたっぷり昼休憩となった。

200mの白浜が続くビーチ。近くにドルフィンファームがあり、時々イルカがジャンプしている。道の駅「マリンオアシスはかた」が近くにあり、伯方島の特産品が売られている。売店で「伯方の塩ソフトクリーム」が売っているではないか、思わず手を出してしまった。美味~い!(≧▽≦)
※瀬戸内カヤック横断隊は「基本無補給」で7日間で約250キロほど漕ぐとゆうストイックな志の海旅である。

僕が呑気に観光気分でソフトクリームをなめている頃、ハラ隊長・ムラカミ副隊長・ダイスケリーダーたちは、船折瀬戸の通過コースを見下ろせる公園に移動し、スカウティングをしていた。
今回の旅で一番の難所、しまなみ海道の「船折瀬戸」その狭い島と島の50mほど間を流れる潮は、船も折れるほどの激しい潮流が生まれ、昔の船乗りを苦しめたことからこの名前が付けられたそうな。最大8ノット(時速約15km)に達することもある潮流は川のように流れ渦を巻き今でも船の難所として有名らしい。
一番潮の流れが穏やかになる転潮のタイミングで通過したい。しかし、それは同時に大型船も通過しやすい時間でもある。充分注意が必要だ。

ダイスケリーダー達がスカウティングから戻ってくると、すぐさまブリーフィングとなった。
「まだ少し潮が早いが、出発しよう。上手く行けば、川のように流れる追い潮に乗って進めるはずだ。」

準備を整え15分後に出発。転潮前の船折瀬戸に入る時のフォーメーションは2列縦長、リーダーの要請で、僕とマーさんはレスキュー要員としてフォーメーションの最後尾に。

船折瀬戸の突入時は、思いのほか流れが落ちてきたタイミングで皆安定したパドリングで順調にすすんだ。大型船も通らず無事の通過した。レスキューが必要なことは起こらなかったが、流れに乗る前方と後方とで集団が二手に分かれてしまった。レスキュー要員が二人ともベテランの多い最後尾にポジショニングしていては有事に機能しない。もっと早いタイミングで判断しマーさんと前後を分担する臨機応変さが必要だった。ちょっと反省。

船折瀬戸を通過した辺りから、少しづづカヤックの中の右足が痛み出した。(>_<)
もしかして、今朝、躓いた時か? 伯方島の昼休憩まで、なんともなかったのに!?

津浪島の海上休憩時「まーさん、右足が痛いんだ。カヤックを支えてくれる?」
サポートしてもらいながら圧迫感のある長靴をなんとか脱いだが、かなり痛む。でも今はどうにかできる状況ではないので、右足は裸足のまま漕ぎ進むしかなかった。


その日のゴールは佐島に決まった。着陸し、立ち上がろうとして、波打ち際で四つん這いに転んでしまった。
驚いた!!あまりの痛みに右足を地面に着けなかった。(◎_◎;)
他の隊士に両脇を抱えてもらい、砂浜に運んでもらった。
荷物満載のカヤックはかなりの重量で、一艇を6,7人で持ち上げる。隊士全員で協力して、運ぶのだが、視ているしかなかった。(;一_一)

皆で協力して、流木を拾い、焚火を起こしている時も、役に立たず。ずぶ濡れのまま座り込んで、ドキドキしていた。(-_-;)ヤベーゾコリャ

腫れの感じからしても、骨が折れていない。捻挫だと思う。クニーさんがロキソニン湿布をくれた。患部に貼り、自分のファーストエイドにあった錠剤のロキソニンを服用した。


じきに日が暮れて寒くなる・・・パドルを杖のようにして何とか立ち上がり、エッチラオッチラ焚火まで近寄り、砂だらけで濡れたカヤックウェアを乾した。
マーさんとアオヤマ二等兵がテントを張るのを手伝ってくれた。テントの中でいろんなポーズになりながら、なんとか着替えた。皆が心配してくれた。ありがとう。

焚火を囲い夜の反省会では、午前中まで何ともなかったのに、こっそり「塩ソフトクリーム」なんて食べたからバチが当たったと大笑いした。(≧▽≦)

夜テントの中で考えていた。
足がかなり痛むなぁ。このまま一人で歩けない有様では、リタイヤし病院に行かなくてはならないかもしれない・・・この島で!?一人でリタイアしてどうやって病院にいくんだ!?車は周防大島だぞ?(゜-゜;)

脚を折って歩けなくなった獣はエサも獲れずに死を待つだけ。アウトドアフィールドでケガを負うことは、そうゆうリスクだ。
理由が何であれケガをしちゃいけないね。不注意の後悔と明日の不安を抱えながら眠りについた。はあぁ・・・

三日目 岡村島~佐島 33.6㎞

※specialThanks 今回もまたまたマーさんの画像を使わせてもらいました。ありがとう。


瀬戸内海を渉る(十八次 瀬戸内カヤック横断隊 備忘録)その4 へと続く。

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